タローが帰国中のため家族旅行にでかけておりました。

しばらくは更新をサボりがちになるでしょう。

さてフェイスクールでも日本人学生を一人紹介してくれました。

タローと同じ学年のその男の子は、やはり東京の有名私立校から

編入してきた子でした。

 

『なぜジュニアボーディングスクールにきたの?

日本の子は普通、中学を卒業してから10年生として

ボーディングスクールに入るでしょう?』

と私は質問しました。

 

すると彼は

『僕は前からアメリカで自分の力を試したいと思っていました。

だったら、できるだけいい学校に入ってやろうと考えたわけです。

アンドーバーとかディアフィールドとか。

そうすると中学でこの学校に入って

準備したほうが絶対有利だなと思って。』

 

私達はもう、一家でひれ伏したくなりましたね。

なんたる向上心!自立心!健全な野心・・・といいますか。

私達はどうも頼りないタローを自立させるべく

親元から離そうとしていたわけですが、

もしこんな子供だったらあえて『自立』なんて

考えなくてもよさそうですね。

 

で、やはり彼の成績はかなり良いようでした。

 

しかし私達は、もし合格してもタローはこの学校に

入ることはないだろう、と早々に結論をだしていました。

やはり本人が何か違和感を持っているということ、

通常より一年長い寮生活になるということ、

さらにここは授業料が高いので有名だということ、からです。

 

ま、全部落ちたら潔く日本の公立中学校に行って

普通に受験しましょ、と話しつつフェイを後にしたのでした。

 

次はガバナー・ダマー・アカデミー。最後のインタビューです。

さてフェイスクールの面接。

ここはボストンから近いせいか、今まで訪問した学校と違ってひどい田舎という雰囲気ではありません。


美しい郊外の街の中にその校舎はあります。

アドミッションオフィサーはとても若いきれいな女性でした。


やはり感じのいい人だな、と私や夫は思いましたが、

息子は面接が終わるなり

『なんか、話が合わなかった。なんか変。』

これは予想外の反応で驚きました。

理由を聞いてもはっきりしたことは本人もわからないというばかり。


その後、ここでは作文のテストを受けました。

その場でいきなり書く、というのはこの学校だけでした。

主題はなんでもいい、というのでかえって難しいなーと思いましたが

タローは適当にサッサと書いてしまい、

きっとろくでもない内容でしょうが英語力は評価されたようです。


つづく

ところで息子タローが夏休みとなり先日帰国しました.

これから9月10日まで家にいます.
学費高い割に休みが多いよね・・・ついボヤいてしまう私.

しかしトラブルもなく楽しく一年目を乗り越え,なんとか
進級もできるというわけで学校関係者一同に感謝しています.

タローによると彼の学年で放校となった学生が4名いたそうです.
理由はいろいろですが主にドラッグとアルコール.

知り合いのニューヨーク在住弁護士は
「ボーディングスクールではセックス・ドラッグ・アルコールで
自滅する子が多い.それに関する相談がたくさんくる.
我が子も例外じゃないと考えて常に警戒する必要がある.」
と教えてくださいました.いいことばかりじゃないよ,と.

どこの学校でも当然それらに関する教育・警告をきちんと
保護者や生徒にしています.
したがってなぜそれらがいけないのか,
学校や寮で見つかるとどうなるのか,皆よくわかっているはず.

タローにはそういう場に居合わせたらすぐ逃げろ!と
常々言っています.(石角先生のアドバイスによる)

学校では「そういう友達を見たらまず説得してやめさせよう,
それでも続けるようなら先生に相談しよう」
とか言っているようですが現実には難しいですよね.

両親のインタビューの時
「その手の禁を犯した生徒に対してどのような対応をしますか?」
と聞きました.
ほとんどの学校は「いきなり退学にはしません.」
タバコも含めて大抵一度目は許すようです.
そして罰を与えるのではなくカウンセリングや研修を受けさせます.

そこまでやっても2度目をやる子は「確信犯」ですから即退学処分です.
しかし一度目から即退学!という学校もあるので
本当に,誤解すらも受けないよう注意しなくてはなりません.
やれやれ
面接する学校を決定した時点では
タローの英語力はまだまだ.

確かに会話は意外とできるようになっていましたが
TOEFLの結果は毎回惨憺たるものでした.

これではどこかに合格しても
授業についていけないのでは?と不安がつのりました.

夫,家庭教師,タロー本人で話し合った結果,
タローは当時8年生だったけれど
必要なら来年また8年生をやってもいいのではないか,
親元から離れた場所であまり無理をさせるのも心配だし
ということになりました.

つまりもしボーディングスクールの担当者が
「今の段階でタローには無理」と判断したら,
ジュニアボーディングスクールにとりあえず行って
翌年また挑戦しよう,ということになったわけです.

そこで何校か資料を取り寄せ調べた結果
石角先生も著書でふれている「フェイ・スクール」
を受けることに決めました.

ボストン郊外の有名校です.
しかし小学校から9年生までなので,
生徒達は10年生から他の高校へ行きます.
やはり有名ボーディングスクールが主な進学先で,
タローの受けた学校にも毎年何人か入学しています.

でもこれは最悪の事態を想定して滑り止めを用意しただけで
翌年秋に普通に高校生になってくれないと
親にとってものすごーく都合が悪いのです.

8~12年生だと
合計5年間ボーディングスクールにいる事になるわけで
その分学費の負担も増えます.
そもそも一般的にジュニアボーディングスクールは
9年生からの(4年制の)ボーディングスクールより費用が高いのです.

さて次回はフェイスクールでの面接についてお伝えいたします.
ウィリストン・ノーザンプトンの
アドミッションオフィサーは若い男性で,
来週も日本へ行って説明会に参加すると語っていました.

ここまでくると私達もすっかり面接慣れして,リラックス.
タローもますます快調で,やはり会話は弾んだようです.

そういえばここでは珍しく校長室に案内されて,
校長とお話しました.
たまたまお時間があったから,ということで
あくまで例外だったのですが.

校長は石角先生とやはりご懇意で,
例の「スーパーエリート教育」を持ってきて
「これを読みましたか?」なんて聞いてきました.
「もちろん!これを読んで感動したからここにきたんです.」
といった会話を10分ほどかわしました.

さてここでの面接は午前中に終わり
すぐにボストン郊外に向かいました.

次の訪問先はフェイ・スクール.
実はこれは「ジュニアボーディングスクール」です.

ほとんどのボーディングスクールは
9年生~12年生が在校する高校なのですが,
ジュニアボーディングスクールは6年生~9年生.
つまり中学校なのです.

なぜこんなところを受けようとするのか?
それには事情がありました.
ほとんどの学校のアドミッションズオフィスは
メインビルディングの中にあり,
各オフィサーの個室のほか事務所や広い応接室があります.
この応接室というか待合いのスペースが,
どこの学校でも一番立派な「お客様」のためのスペースです.

以前見学したタフトは学校全体が重厚な雰囲気ですが,
応接室は特にすばらしかったのです.
ヨーロッパの歴史あるホテルのロビーみたいでした.

ウィリストンノーザンプトンの応接室はおしゃれなプチホテル風.
こじんまりとして日本人には落ち着ける雰囲気です.
趣味のいい調度品に囲まれて
日本人の生徒達とお話させていただきました.

Aさんは美術をやりたくてこの学校に入ったという元気な女の子.
とにかく自分の好きなことを思い切りできて,
それが評価される今の学校に大変満足している,
ということでした.
大学もアメリカで美術をやりたい,と希望に燃えて
月並みな表現ですが目がキラキラ!という感じ.

Bさんはアドミッションオフィサーも太鼓判をおす
かなり学業成績優秀な男の子.
非常に大人っぽくしっかりした子でした.

Cさんはいかにもスポーツマンという感じのがっしりした男の子.
もともと東京の有名進学校の生徒でしたが
アメリカンフットボールが大好きで
「フットボールを真剣にやるならアメリカに行くしかない」
と決意したそうです.

しかしこの学校は本命ではなかった,と少しくやしそう.
もっとフットボールの強い学校を希望したのですが,
不合格だったとか.
大学は再びフットボールの強いところを目指す!
と執念を燃やしていました.

このように芸術,勉強,スポーツと,日本人だけでも
生徒の興味と能力が全く違うわけです.
学校全体ではさらに国籍,人種,宗教もいろいろ.
どこの学校も多種多様な生徒を集めるのに懸命ですが.

特にウィリストンノーザンプトンは
「多様性」にこだわる傾向が強いようです.
また,アイビーリーグや一流大学に入ることを
特に推奨していない,という態度です.
でも「結果としては」けっこう入っているんですよね.

「学校はあくまでも生徒一人一人が自分にとっての成功の定義を
見つける手助けをするところ.」と校長が石角氏に語ったそうです.
学校のポリシーは
「Find your own uniqueness.」「Define your own success.」

すばらしいですね!
ただ,本当にやりたいことが見えている子はいいですが,
そうでもない子(例えばタロー)にはかえって
しんどい世界とも言えます.
4校目のウィリストン・ノーザンプトン・スクールは
マサチューセッツ州のEasthamptonという小さな町にあります.

周囲に大学やボーディングスクールが多く,
小さいながらも学生達で賑わっているすてきな町です.

前日のサフィールド・アカデミーから近いので
時間に余裕があり,近所の観光でもしようかと調べたら
なんと露天温泉がありました.
個室の露天風呂がいくつかあり,予約制なので水着なしでOK.
もしこのあたりでインタビューツアーするときは
疲れと緊張をほぐしにいらしてみては?

さて,この学校のキャンパスツアーはとっても丁寧.
まず先生(男性)が出てきて教室,図書館,寮を見せてくださり,
次にかわいらしい男子生徒がスポーツ設備などを案内してくれました.

その生徒にも,この学校を選んだ理由と
他に受けた学校はあるかという質問をしました.
彼は家の近くのガバナー・ダマー・アカデミーにも受かったけれど,
そこでは近すぎて通いになる,
自分は寮に入りたいからここを選んだ,というのです.
幼いような外見のわりにしっかりしています.

ガバナー・ダマー・アカデミーはタローも
最後に受ける予定の学校で,石角先生の著書に登場する頻度は
このウィリストン・ノーザンプトンに次いで多いのです.

ところでここは日本人が比較的多い学校です.
担当者が毎年日本に出張して,
ボーディングスクール合同の説明会に参加し,
少しでも優秀な学生を入れようとがんばっています.

このときは3人の日本人生徒を紹介してくださいましたが
この子達がまた大変ユニークでした.次回に続きます.
さて3番目の学校はコネチカット州のサフィールド・アカデミー.

ここは以前にタロー抜きで,両親だけで訪れた学校です.
詳しい学校の特徴などは以前に書きました.
実は私はこの学校を大変気に入り,
ぜひタローはここに入れたい!と思っていました.

規律正しく,施設やカリキュラムから
学校側の教育に対する意欲がすごく伝わるんです.

服装や食事時の席順などを学校から指定される,というのも
古き良きプレップスクールという感じで
私には好ましかったですね.

しかしタローには不評.
「毎日ネクタイなんてやだよお」
「食事は気に入ったヤツとしたいよ」などと
どうでもいいことばかり気にするんですよね.

「このカリキュラムじゃ僕には物足りないよ」
とか親がうっとりするような事を
たまには言ってくれないものだろうか・・・とため息がでます.

面接担当者は若い女性でした.
これがまた非常にかんじの良いすてきな方で,
この人にはタローもかなり好感を持って
楽しく話せたようです.

しかし両親のインタビューのとき
突然夫が妙な質問をしたんですよね.

「息子がもしこの学校に合格しなかったら,
私達は他の学校を探さなくてはなりませんが,
結果がでるのは3月でしょう.
その時点ではほとんどの学校の募集は終わってるし,
帰国も間近でとても探せません.
今の段階で面接の結果を教えていただくことはできませんか?」

何を言い出すやら.びっくりしました.
案の定面接官は非常に困った表情に.
「それはこの場で言えません.」と
至極もっともなお返事がかえってくるだけでした.

息子に合いそうな学校を他にご存知ですか,というならともかく
この質問の仕方はちょっとまずいのでは?と不安になりました.

夫もこの学校が気に入ったらしく,
なにかアセリがでてしまったようです.
後で反省しておりましたが.

次回は4校目.
マサチューセッツ州のウィリストン・ノーザンプトン・スクール.
ボーディングスクールのモデル校です.
先日タローからメールがきました.
珍しく写真つき.

今,プロムの季節なのですね.
イブニングドレスで着飾った上級生の女の子達に
タローはスウェット姿でにこやかに囲まれています.

来年も彼はまだシニアではありませんが
シニアの女の子から誘われれば
プロムに参加できるのだとか.

誘われるかどうかわからないけれど
いざというとき恥かかないように
ダンスの練習しておいてほしい親心.

しかしこのような楽しい学校生活も
ビザがあってのことですよ・・・

そこでビザ申請却下,1回目のお話.
まあ1回目は却下というより差し戻しというか.

あれは帰国して間もない5月のこと.
9月の入学に向けてペンシルバニア州のボーディングスクール
でサマープログラムに参加させることになりました.

6月末からの一ヶ月だけですが,
その前にビザを取った方が良いということで
書類をそろえて申請したわけです.

当時大使館のホームページには
「16才未満の子供は面接がいらない」とありました.

しかし相手はアメリカ・・・もう一度確認が必要だと考え
直接電話もして確認しました.
この電話は有料で,先にクレジットカードで支払えば
話が出きる,というものです.

電話口の担当者も,16才未満なら面接はいらず書類だけでいい,
と言いました.

2週間後くらいに大使館から封筒が届いたので
嬉々として開けると
パスポートにビザが無く,愕然としました.

書類に不備はありません.
ただ「面接が必要」という項目にチェックしてある紙が一枚
入っていました.そこには何の説明もありません.

まだ14才なのになぜ?
何か問題でもあったのかしらと不安になりました.

なぜ今更,急に面接が必要だというのか,わけがわからず
とりあえずまた大使館のホームページを見ると.

「6月から14才以下の子供も面接が必要になった」
と書いてあるではありませんか!

いきなりルールを変えるなんて!と驚きました.
だって電話口にでた担当者でさえ知らなかったくらいですからね.

それに確かに返却された日は既に6月でしたが
申請したのは5月中旬.
ちょっとひどいんじゃない?と思いました.

まあ,ビザなしでもサマースクールは行けるというので
気を取り直してそのままタローをアメリカに送り出し,
7月末に帰ってから再度申請することにしました.

まだこの時は,ちょっと運が悪かっただけ,
ちょうどルール変更の時期に重なっちゃっただけ,
と軽く受け止めていました.(この辺がバカなのですが)

申請費と書類をそろえる労力は無駄になったけれども,と.

さっそくまた大使館のホームページを開け
面接の予約をしました.
これがビッシリで,1カ月先になってしまうんです.
皆さん,早めに予約してくださいね.

なんとか7月末の面接を予約し,
2回目の申請に向けて準備を始めました.

しかしなぜこの時点で専門家に相談しなかったのでしょうね.
痛恨の極みです.
おかげで私の本格的な「胃痛の夏」が始まったわけですから.

2回目の申請,そして初めての大使館面接と
不快な思い出についてはまたそのうち.

一旦(比較的)楽しいインタビューツアーに戻ります.
テロ以前にビザを取得された方々に
この話をすると皆ビックリします.

「どうしてアメリカに住み着いちゃいけないの?」

「その面接官はボーディングスクールのこと知らないの?
すごいお金を落としてくれるっていうのに.」

「I-20があって,学校からのサポートの手紙もあるのに
何が問題なの?」

そんなに厳しくなっている,ということに
改めて感心したようです.